mayu-banzaiの日記

1日1冊が目標!読んだ本の感想をメインに掲載します。

死ぬほど読書 丹羽 宇一郎

伊藤忠商事の元社長さんの書いた本です。 

死ぬほど読書 (幻冬舎新書)

死ぬほど読書 (幻冬舎新書)

 

本を読む人であれば、と~っても惹きつけられるタイトルですね。

 

本書は6章構成です。

 

はじめに

第1章 本に代わるものはない

第2章 どんな本を読めばいいのか

第3章 頭を使う読書の効用

第4章 本を読まない日はない

第5章 読書の真価は生き方に表れる

第6章 本の底力

おわりに

 

そうだよね、そうだよね、と同意することばかり。

例えば、著者は書店に行く楽しさも説いています。もちろん、欲しい本が決まっているならばアマゾンでポチ、でも良いのです。

しかし、書店をぶらぶらとして偶然出会う本たち、それが自分の関心の領域を広げてくれるのです。アマゾンでポチ、では、自分が興味のある分野の本に偏ってしまいます。アマゾンからおススメされるのも、購入履歴に基づいて、似たような内容の本だったり同じ作者の本だったりです。関心の対象が広がることはなかなかないですね。

 

少し長いですが、内容から引用。

私が本を買う決め手とするのは、目次です。書店で本を手にしたときは、まず目次をじっくり読みます。目次を見れば、どういう内容なのか、どういう構成で展開しようとしているのかがほぼわかる。

私も目次は見ます。目次の中に読みたい項目があれば買うし、なければ買わない、と判断するシーンもあります。が、この著者の方ほど目次から情報は得ていませんでした。へえ、目次からそんなに色々情報がわかるんだねえ、という感じです。

 

また、本を読む人なら一度は考えたことのある、多読が良いか、精読が良いか問題。私はどちらかと言うと多読派だと思います。いっぱい読んで、色んな情報を得たい!という考えです。似たような内容の本でも、何冊も読むことによって一つの結論に至ることも多いです。「結局〇〇は××なんだな」的な。

小説などは、好きな作者ができれば、その人の本ばかり読みます。面白いから、1日1冊は読みたい!もっと読みたい!と、ずっと読んでいたい気持ちになります。

著者の方は、どちらもほどほどに、という感じです。全ての本を精読していたら読みたい本を読む前に人生終わってしまうし、かと言って読み飛ばしてばかりでは頭に何も残らないし、です。ん~、そりゃそうだよね、です。

 

人生というものは、問題があって当たり前。問題のない人生など、どこにもない。問題がなくなるのは、死ぬときです。

これが読書とどう繋がるかというと、困難な問題にぶち当たったとき、多くの本を読んできた人であれば、先人たちの知識や経験から色々学ぶことによって、突破口を開くことができたり、心が強く保てたりする、だそうです。読書は経験です。本を読むことによって、たとえば伝記ならその人物の一生を体験でき、小説なら主人公の体験が自分の体験になります。新書なら著者が長年培ってきた経験や気づきを自分のものにできます。

普通に過ごしていると経験できないことが、本を通して経験できるため、結局人生の経験が蓄積されていくのです。人間って、一度経験したことに対してはどっしりと構えていられるものだと思います。だから、本をたくさん読んで経験を積むことは大事なんですね。

 

読書好きなら共感できるところが多くて、読んでいて何だかうれしい内容だったと思います。が、読書をしない人が読んでも面白くないだろうなあ、という内容でした。

 

読んだ日:2017年11月~12月

死ぬほど読書 (幻冬舎新書)

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すべての教育は「洗脳」である 堀江 貴文

完全にタイトル買です。 

本書は5章構成です。

 はじめに

 第1章 学校は国策「洗脳機関」である

 第2章 G人材とL人材

 第3章 学びとは「没頭」である

 第4章 三つの「タグ」で自分の価値を上げよ!

 第5章 会社はいますぐ辞められる

 おわりに

 

読んでいるうちに、ホリエモン(親しみの意を込めて、堀江さんのことは今後このように記載します)に洗脳されている気がしてきました。

ホリエモンが書くからこそ、説得力のある内容だったり、「それは言いすぎじゃ・・・」と思う内容があったり。どっぷり日本の教育によって洗脳されている私としては、何が正しくて、何が正しくないのかがわからなくなってしまう内容でした。

思考停止、なのでしょうか。

 

では、特に気になった文章を引用。

なぜ学校は恣意的な常識を人に押し付けようとするのか?その常識によってどんな人間を育てようとしているのか?

一言でいえば、従順な家畜である。

どひゃー。子どもたちが家畜になってしまいます。そしてもちろん、何の疑問も持たずに学校を卒業してきた大人たちも、立派な家畜です。 

家畜、とは、企業や社会における上からの命令に従順な働き手のことです。

昔は家畜養成型の教育でうまくいっていました。けど、これからの世の中では家畜は搾取されるばかりです。現に、ブラック企業などによって時間や人生までも搾取されている人が既に多くいますよね。

家畜ではなく人間として人生を楽しむためには、学校教育だけではダメなのでしょう。

むしろ、学校教育が害になる、とすら言っています。

 

社会を悪しき方向に押し遣るのは、いつでもこうした「雰囲気に飲まれる」人たちなのだ。

ドキッ。私、雰囲気にだいぶ飲まれやすいです。反省反省。雰囲気に飲まれる、ということは、自分で考えたり判断をするということをしていない、ということです。

 

「禁止」だらけの学校生活

そういえば、学校って、〇〇してはいけません、××はやめましょう、みたいな規則が多かったですね。大学は緩めだとは思いますが、小・中・高校の「校則」って、今考えると「何の意味が?」というのも多いですね。

・上着は紺か黒の目立たない色に限る→なぜか?

・髪の毛を染めてはいけない→非行に走るから?

・制服のスカートはひざ下〇〇cm→ひざ上の方が可愛いのに・・・

覚えているだけでも、こんなものでしょうか。全体的に、学校の体面を守るための決まりが多かったような気もします。

 

そのきっかけを作るのは、親である。

この文章の前段階として、ホリエモンは「没頭しろ、専門バカになれ」と言っています。それが、自分の力になり、強みになるのです。

そして、子ども時代は没頭できるのが当たり前なのです。しかし、その力をなくしてしまうキッカケが、親、なのです。

特に、母親、なのでしょうね。父親は割と子どものやることを見守っているような気がします(あくまでも、私の周りの人たちからのイメージです)。

大体小言を言うのは母親。母親目線でいくと、「危ないから」「部屋が汚れるから」「人としての常識がないから教えなくちゃ」等々、様々な理由が出てくると思います。特に、子どもに危険が及ぶ場面(「危ないから」)では、子どもの行動を止める必要がありますが、そうでない場合は、やらせ続けてあげるべきなんですね。

子どもは、親からの「ダメ」、学校での「~してはならない」によって、やりたいことを好きなだけやることが悪いことだと学習してしまうのです。

 

私もあれこれ心配して言ってしまうタイプなので、ぐっと我慢。子どもが楽しく没頭しているときはそっとしておくよう心がけたいと思います。

 

脳は退屈が嫌いだ。「何も新しいことを考えるな」と命じられると、手持ち無沙汰のあまり、思い出を材料に「不安」「焦り」「嫉妬」といったゴミのような感情ばかり作り出す。逆に、考えるネタをふんだんに与えれば、「楽しい、もっとやりたい」という感情を放出する。

脳を使いこなしていますね。時間があるときにくだらないことを考えてしまう、というのはわかる気がします。新しいこと、考えることをどんどん脳に与えて、脳を良い方向に導いてあげるようにしよう。

 

他にも、なるほどね、と思うところはたくさんありました。

最近教育についての本を何冊か読みましたが、ざっくり言うと『日本の教育はダメだ!』という主張のものが多かったように思います。そういった主張でないと、本にはならないのでしょうけど。

 

道徳、プログラミング、英語が導入されることによって、小学校の教育はどうなっていくのでしょう。不安になってきました。

 

読んだ期間:2018年1月23日

すべての教育は「洗脳」である 21世紀の脱・学校論 (光文社新書)

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本当に必要な薬がわかる本

 興味の赴くままに。

有名医が本音で答える! 本当に必要な薬がわかる本

有名医が本音で答える! 本当に必要な薬がわかる本

 

へえ~、という感じです。

色んな考え方の医師がいるんだなあ、と。それぞれの医師の、『薬に対するイメージ(先生にとって、お薬とは)』と『座右の銘』は面白かったです。

 

「ああ、この薬って良い薬なんだ」とか、「げ、この薬飲んでるけど、(医師が)あんまり使いたくない薬なのか」などということを学ぶための本ではありません。

ただ、こういった類の本に自分が飲んでいる薬が出ると、気になる方がいるのは当然だと思います。そういう方は医師との関係を見つめなおしてください。

信頼している医師が出した薬なら、安心して飲めるはずですから。

 

読んだ日:2018年1月21日

有名医が本音で答える! 本当に必要な薬がわかる本

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指導死 大貫 隆志

不登校関連の本を図書館で探すとき、「教育」というカテゴリーの棚を見ます。その中にあった、興味をひかれた1冊です。

「指導死」

「指導死」

 

2013年に出版されているようですが、『指導死』という言葉を知りませんでした。

 

事例がいつくか詳細に記載されています。涙なしには読むことのできない内容でした。

そして、「指導」というものについて非常に考えさせられる内容でした。

 

先生、というのは生徒から見ると、学校においては絶対的存在です。

自分が学生時代を思い返してみても、先生の言うことは「守らなきゃ」「正しい」「先生のいう事ができないなんて、自分が悪い」くらいのことを思っていたような気がします。

 

指導をされる原因は生徒側にあるわけですが、大事なのは、適切な環境の下で適切な指導をし、適切なフォローが必要である、ということです。

事例においては、指導を掃除用具入れの中(とても狭い、明かりがなく薄暗い)で行っていたり、昼食も食べさせず、水も飲まさずに数時間にわたって数人の教師から攻められたりしています。

大人の状況に置き換えてみてください。パワハラですね。

先生たちは、自分の立場、生徒への影響力を十分に理解した上で指導に当たって欲しいな、と思いました。

そして、画一的に「指導はこの部屋で、何分以内、教師は何人以内」などというルールを作ってそれに従うのではなく、難しいことだとは思いますが、生徒一人一人の個性にあった指導法で指導を行ってほしいです。

 

最後に、指導死の定義を。 

 1 一般に「指導」と考えられている教員の行為により、子どもが精神的あるいは肉体的に追い詰められ、自殺すること。

2 指導方法として妥当性を欠くと思われるものでも、学校で一般的に行われる行為であれば「指導」と捉える(些細な行為による停学、連帯責任、長時間の事情聴取・事実確認など)。

3 自殺の原因が「指導そのもの」や「指導をきっかけとした」と想定できるもの(指導から自殺までの時間が短い場合や、他の要因を見いだすことがきわめて困難なもの)。

4 暴力を用いた「指導」が日本では少なくない。本来「暴行・障害」と考えるべきだが、これによる自殺を広義の「指導死」と捉える場合もある。

 

読んだ日:2018年1月20日

「指導死」

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つまずく子ほど大きく伸びる 生駒 富男

 第一高等学院という通信制高校の理事長である生駒富男氏による著書です。 

つまずく子ほど大きく伸びる

つまずく子ほど大きく伸びる

 

 第一高等学院HPはこちら↓↓

https://www.daiichigakuin.ed.jp/

 

サッカーの香川真司選手の出身校でもあるそうです。

通信制高校の口コミサイトみたいので口コミを見てみましたが、さほど悪い口コミはありませんでした。キャンパスが多く、場所によっては自由な校風が「だらけ」に繋がっているところもあるようですが・・・。

わが子については高校はまだまだ先の話ですが、目に止まったので参考までに読んでみました。

 

まず、全体を読んで、理事長の考え方はとても素晴らしいものであったと思います。生徒たち一人一人の個性ややりたいことを尊重し、伸ばしていこうという考えです。そして、生きていく上で大事な力を身につけてほしいと、特色あるカリキュラムを組んでいるようです。

書かれていること全てが実現するなら、第一高等学院に通う子は非常に強い大人になれるような気がします。ただ、理想論をすべて並べて、第一高等学院という学校を魅力的なものに見せようとしすぎているような印象も受けました。(要は、うさんくささ、ですね。)

勉強以外のやりたいことがあって、高卒の資格もとりたい、そんな人には最適ではないかと思います。(通信制高校がそういうものである気もしますが。)しかし、本になるくらいなら、世の中にはこういった高校は少ないものなのでしょうか??

 

不登校の生徒も多くいるようなので、保護者としては安心かも知れません。

 

本書は4章構成です。

 はじめに

 第1章 多様な学びの場を提供する通信制高校

 第2章 不登校・ひきこもりからの再チャレンジ

 第3章 「自他肯定感教育」でもっと自分を好きになる

 第4章 チャレンジ・再チャレンジの高校

 おわりに

 

いくつか印象的だったところを。

優等生だった生徒が不登校になり、ひきこもるというのは、自分を肯定できない結果と言えます。

中学までは成績トップでも、高校では平均的な成績になってしまう。そんな時に、アイデンティティが崩壊し、不登校になってしまう子がいるようです。

勉強だけが、唯一他人が自分を認めてくれるものだったのでしょうね。自分で言うのもなんですが、私は中学生の時には学校でトップの成績でした。高校は割かし自由な校風の進学校へ。しかし、私は高校では落ちこぼれでした。そこで、「私って何のとりえもないやつなんだ・・・」と悲観的になることもなく、なんとな~くおちこぼれのまま適応していっていました。

が、ここで適応できない人が不登校⇒引きこもりとなってしまうのですね。

優等生、危険です。

 

生徒たちの悩みは、第三者から見たら容易に対処法は見つけられても、本人が対処法を見つけるのは難しいのです。

なるほど、一理ありますね。他人が悩んでいるのを見ていると「こうすれば良いのに・・・」と思ったりしますもんね。自分の子どもを見て「もう、こうすれば良いのに!(イライラ)」とならないように気をつけようと思います。

だって、本人にとっては、出口の見えない悩みなのですもんね。 

 

自他肯定感

自分を対象にした自己肯定感という言葉は有名ですが、この「自他肯定感」というのは第一学院高校の基本となる教育みたいです。

自分を肯定する→他者も肯定する→もっと自分も周りの人も好きになる

何か宗教チックにも見えますが、結局は「もっと自分を好きになる」ための教育でしょうか。否定はしませんが、何か一歩ひいてしまいます。

もちろん、考え方そのものは素晴らしいと思いますよ。世界平和的な。

 

脳は思考、感情、体調に分かれており、最も強く行動に作用するのは感情なのです。

どっかの自己啓発本で読んだような・・・。

 

他喜力

自分ではなく、他人を喜ばせる能力の事。他喜力は自分の実力を何倍にも大きくしてくれる、とのことです。

 

他喜力はに人に五つのすごい力をもたらします。人を動かすこと、究極のアイデアを生むこと、ストレスをなくすこと、欠点をなかったことにしてくれること、自分が大好きになること-の五つです。

他人のために何かをする、というのは、後味の良いものです。そして、大体において、善意でされることに対しては、少なくとも嫌な気分はしないものですよね。

人間関係を円滑にする上で必要な力でもあると思いました。

 

社会人にとっても、ためになる部分が多かったと思います。読んで損はないけど、少しうさんくささが漂う、そんな感じの本でした。

 

一つ残念だったのは、本のタイトルである「大きく」を感じられなかったことです。ごくごく一部の、スポーツや芸術活動と並行して高校に通う生徒のことを大きく取り上げ、不登校あがりの生徒については「何事もなく、楽しく高校生活を終え、ふつうの職に向かって頑張ってますよ~」というにとどまっている印象でした。

私がタイトルを見て想像した「大きく」には、当てはまらない事例がほとんどだったと思います。このへんは各個人の価値観によると思います。

不登校の子が楽しく学校に通えただけでも凄いじゃないか!という意見ももちろんあると思います。私もそう思いますが、本にするくらいなら、もっとビッグなことに挑戦している卒業生・在校生(元不登校に限る)の紹介があって欲しかったです。

 

読んだ日:2018年1月11日~1月12日

つまずく子ほど大きく伸びる

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母は汚屋敷住人 高嶋 あがさ

私の母が片づけられない人、というわけではなく、純粋におもしろそうだったから興味のみで読んでみました。  

母は汚屋敷住人

母は汚屋敷住人

 

本当にこんな人いるのかな・・・?という感想ですが、そういえば以前テレビで、片づけられない人のおうちに行って綺麗にしてあげるような企画があったように思います。

たとえば女芸人さんのお部屋を「汚部屋」と言って、片付けのプロと一緒に訪問し「ごみ袋〇〇袋分捨てました!」とか、一軒家で家の中から周囲までを数日かけて業者と一緒に(というより業者が)片付け、「トラック〇〇台分の不用品を処分しました!」「歩く道ができた!」などとやっていたような。

その方たちのその後はわかりませんが、同じ芸人の人が何度も同じような企画に出ていたところを見ると、一時片付いたとしても、またすぐに元の汚い状態に戻ってしまうようですね。

 

テレビで「ひょえ~」と思いながら見ている分には、まだ楽しいです。自分も片づけられない方だと思っていますが、まだマシ、なんて思うこともできます。

が、それが身内の話だったら、また状況が変わってきますよね・・・。

 

この本では、著者のお母さん(65歳)の片づけられなさ、いえ、片づけられないというよりは捨てられなさと、片づけたい、捨てたい著者のバトルが描かれています。

モノをため込む人、というのは、「もったいない」「いつか使う」「スクラップしてから捨てる」など、ただ捨てることに抵抗感が大きいのですよね。壊れた家電なんて明らかにゴミなのに、なぜか捨てない。理解不可能です。著者のお母さんもそうです。

著者がこっそり捨てようものなら「なぜ勝手に捨てたのか」と怒ります。

それならば確認をとってから捨てようとしても「これはいる、あれもいる」と埒があかない。

「捨てなければ家が壊れる」というところまできても、まだ捨てない。お医者さんに診てもらえば何か病気の診断がつくレベルなのでしょうが、治療するにも本人が「治したい」という意思がないとどうしようもないようです。

そこで、著者はあれこれと作戦を立ててモノを減らしていきますが・・・。

 

著者の奮闘と、それをあざ笑うかのようなお母さんの行動が、読んでいて楽しかったです。でも、自分の母じゃなくて良かったです。本当に。

認知症などで、それまできっちりと片づけられていた人が、モノをため込むようになったりするそうなので、ある日他人事ではなくなる可能性も十分にありますが。)

 

読んだ日:2018年1月11日

母は汚屋敷住人

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文部科学省は解体せよ 有元 秀文

図書館で見かけて、「おや?」と思って即借りました。

不登校ネタの本を読み漁る以前の私だったら、見向きもしなかったでしょう。

文部科学省は解体せよ

文部科学省は解体せよ

 

有元秀文さん、という方を私は初めて知ったのですが、有名な方なのでしょうか。文部科学省のあり方、存在に対して物申し続けている方みたいです。

 

本書は7章構成です。

 はじめに

 第1章 文部科学省のどこがおかしいか~私がこの目で見てきた文科省

 第2章 二〇二〇年、公教育の崩壊が始まる

 第3章 小学校にも中学校にも精神疾患教師が多いわけ

 第4章 天下りに不正・・・ついに開いたパンドラの匣

 第5章 文部科学省をどうやって解体するか

 第6章 文部科学省の支配から、どうすれば逃れられるのか

 第7章 教師たちよ、言いなり教育からの脱却を!

 おわりに

 

感想としては、「それでも、解体は無理なのだろうなあ・・・」というもの。もちろん、かなり大げさに記述してインパクトを与える目的があっての内容なのでしょうが、なんだか非現実的な感じがしてなりません。

多かれ少なかれ、省庁ではムダな仕事も利権がらみの仕事もあるのだろう、ということは頭ではわかっています。我々の血税を、ムダに使っているような事業等も多いのでしょう。

それは何も文科省に限ったことではないと思うんですよね。欲を言えば、全ての省庁のざっくりとした無駄を列挙し、特に文科省ではこうだ、という理屈でも欲しかったです。ただ、元文科省職員ならではの視点や内容もありました。

学力テストの無駄、天下りのひどさ、新指導要領への批判(英語教育とプログラミング教育の導入によるさらなる学力低下の危惧)などは、納得できる部分でもありました。

 

ただ、子どもを学校に通わせる一人の保護者としては、文科省解体すると想像したとき、

①教育格差の拡大

②中央で行っていた仕事(不要なものは除く)を結局現場がするのであれば、教師の負担がさほど減らないのではないか

という点が気になります。

そりゃあ、夢と希望に満ち溢れて教師になった人にとっては「やりたいようにやらせてくれ!」って感じなのかも知れませんが。

 

私自身が学歴主義からまだ抜け出せていない面もあるため本書の内容を受け入れきれていない部分があると思っています。早く考え方を心から改めたいと思いつつ、やはり受けてきた教育を覆すような価値観をすんなりと身につけることができません。

(と考えると、わが子に限らず子どもたちにはしっかりとした教育を受けてほしいですね。)

今後は、自分の意見を持ち、それを相手にわかりやすく伝えることができ、反対意見を持つ人とも建設的な討論ができるような人が求められていく世の中になるのでしょう。いえ、もう既にそのような世の中かも知れません。

だから、知識だけの学力ではなく、しっかりと考える力を子どもにはつけてもらいたいです。今は、せっかくホームスクーリングのような状態なのだから、無理に学校に行かせようとするのはやめて、生きる力をつけていくことに注力しようかと考えるようになっています。でも、そのためにはどうすれば良いのでしょうか

本書では、そのためには読書を勧められています。

そこに反対はしません。私自身も読書が好きだし、読書によって成長したり心が潤ったりすることは確かです。が、何冊か国語教育に携わる人、あるいは国語教育に携わっていた人の著書を読んでいるうちに、「この人は国語の先生だから読書を強く勧めているのでは・・・?」と思うようになっている自分がいます。

 

スマホでゲームをするよりは何倍も子どもにとっては意味のあることだとは思いますが、「何はともあれ読書!」というような流れには少し違和感を覚えるところです。

 

本書の内容については、ああ、こういう考え方もあるんだな、という程度に受け止めようと思います。

 

読んだ日:2018年1月8日-9日

文部科学省は解体せよ

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