田舎のキャバクラ店長が息子を東大に入れた。 碇 策行
副題:たった1つの子育てポリシー
著者、碇氏の家族歴が壮絶。
父親に棄てられ、母親に棄てられ、祖母は亡くなり・・・。
お決まりの非行に走った時期もあったようだ。(保護者は祖母のみ)
そんな碇氏だから、自分の子供が生まれた時には、自分も同じことをしてしまうのではないか、と不安だった。
それは当然の不安。
でも、結果的にはご子息は東大に現役入学している。
それは素晴らしいことだと思う。
非常に期待をもって読んだ。
期待を裏切ることはなかった。
本書には、子育てや受験のノウハウが書かれているわけではない。
だが、今後自分の子供を育てていくうえで参考になる、碇氏の考え方、気づきが多く記されていた。
【子育て編】
どんな子でも、簡単なことなら続けられる。
続ければ習慣になり、「やればできる」と自信が持てる。
褒めてやれば、自信はもっと大きくなる。
自信を持てば、新しいことにも挑戦できる。
激しく同意。
でも、実は「続ける」というのが非常に難しい。
息子に対して、私は特別なしつけをした覚えはない。『あいさつ』を除くと、『帰宅時の手洗い・うがい』『寝る前の歯磨き』と『後片付け』の三つくらいだ。
そして、いつの日か、確実に息子の前からいなくなってしまう私にとっては、息子を『ジリツ(自立・自律)』させることが重要だった。そのために、
私自身が息子のお手本になる。
息子が困惑しないようにあいまいな態度をとらない。
このことを心掛けた。まずは、私が息子から信頼されることだった。
自立・・・他への従属から離れて、独り立ちすること。独立。他からの支配や助力を受けずに存在すること。
自律・・・他からの支配や制約を受けずに、自分自身で立てた規範に従って行動すること。
ジリツ、難しい問題だ。
もちろん、私も子供たちをジリツした大人へと育て上げたい。
(自分がジリツしてない、という疑惑もあるが・・・)
息子には「やってはダメ」と言ったことがほとんどない。私の子供のころの経験から、親に「やってはダメ」と禁止され続けると、委縮して親の顔色をうかがい行動が止まる。子供らしい自由な行動がきなくなる。
子どもらしく、泣いたり笑ったりしてほしかった。
これ、なかなかできないもんだ。
親は、危ない、ということを経験して知っているから「危ないからやっちゃダメ!」とか、経験から結果が想像できるから「~なるからダメ!」と言ってしまうもので・・・。
私も、上の子がかなり空気を読む。
持って生まれた性格もあるだろうが、やはりそれまでの育て方が一番大きく影響しているのではないか、と思う。やりたいことをできていないんじゃないか・・・
「子どもらしく泣く」「子どもらしく笑う」ことをそのまま許すのは、親としてはかなりしっかりとした意志を持っていないとできないだろう。
常に息子自身に考えさせ決めさせた。子供は経験がまだ少ない。自分の考えがまとまるまでには、時間がかかっても仕方がない。
私自身が子供のころ、せっかちな母に急かされて、考えがまとまらなかった嫌な経験があったからこそ、息子にはゆっくり考える時間を与えた。そして、決めさせた。
碇氏は、自分の子供時代の経験を、しっかりと子育てに反映させている。
しっかりとした子育てにおける方針を持っている。
私は特に不満のない子供時代を過ごしたせいか、自分の子供がどのようになってほしく、どのように育てていくのか、というしっかりした思いがない。
世に出回る子育て本を読み、「そういうもんなのか」と、本の通りに育てようとしているような気がする。マニュアル母ちゃんだ。
本の通りにいかなければ、子供たちに厳しく言ったりしてしまう。
最近は、「グローバルに活躍できる、柔軟性、生きる力の強い人間になってほしい」という、漠然とした思いは湧き上がってきた。
しかし、碇氏のような強い思いはまだない。
どのように育ってほしいのか、どのような大人になってほしいのか。しっかり『考える』ことが必要だ。
【受験編】
受験は団体戦だ。それぞれがそれぞれの『役割』を果たすことでチームとしてまとまり、信頼関係が強くなっていく。さらに、信頼関係が強くなっていくことで、チームとしても強くなっていく。
受験は団体戦なのか。私は、高校受験、大学受験と経験したが、『受験は団体戦』だなんて意識したことはなかったし、実際そんな感じではなかった。
個人プレーだと思っていた。
だが、勝手に個人プレーになっていただけかもしれない。
先生方や、親は、それなりに気を使ってサポートしてくれていたな、と今になって気付く。
子供が受験するのは、まだまだ先の話だが、団体戦のなかでできる役割を果たせるように頑張ろう。
二次試験を息子にとって不安のない環境で受験させることが、唯一私にできる『役割』たと思った。それしか、息子にしてあげられることはなかった。
息子が不安なく、実力を発揮できるような環境を作り出すことが私の『役割』だが、妻の『役割』は息子を普段通りに生活させることだった。
碇夫妻はきっちりと役割分担をしている。無意識のうちかも知れないが。
団体戦、役割、を意識してしっかりとご子息をサポートされているのだ。
だからこそ、ご子息も安心して受験に打ち込めたのだろう。
最後に。
子供たちに『失敗を恐れずに挑戦する勇気』を持たせることができれば、子供たちは無限の可能性を発揮する。その『勇気』を持つためには、身近な大人に見守られている、愛されているという『安心感』がなくてはならない。
碇氏は子供の可能性を心から信じている。
そして、それを伸ばすためにはどうすればよいか、を考えて行動している。
学校に対してもひるまず行動しているのだ。
私は、仕事も子育ても中途半端。
自分が何をしたいのかもわからない。
心から碇氏を尊敬する。
読んだ期間:2016年5月末~2016年6月初旬