指導死 大貫 隆志
不登校関連の本を図書館で探すとき、「教育」というカテゴリーの棚を見ます。その中にあった、興味をひかれた1冊です。
2013年に出版されているようですが、『指導死』という言葉を知りませんでした。
事例がいつくか詳細に記載されています。涙なしには読むことのできない内容でした。
そして、「指導」というものについて非常に考えさせられる内容でした。
先生、というのは生徒から見ると、学校においては絶対的存在です。
自分が学生時代を思い返してみても、先生の言うことは「守らなきゃ」「正しい」「先生のいう事ができないなんて、自分が悪い」くらいのことを思っていたような気がします。
指導をされる原因は生徒側にあるわけですが、大事なのは、適切な環境の下で適切な指導をし、適切なフォローが必要である、ということです。
事例においては、指導を掃除用具入れの中(とても狭い、明かりがなく薄暗い)で行っていたり、昼食も食べさせず、水も飲まさずに数時間にわたって数人の教師から攻められたりしています。
大人の状況に置き換えてみてください。パワハラですね。
先生たちは、自分の立場、生徒への影響力を十分に理解した上で指導に当たって欲しいな、と思いました。
そして、画一的に「指導はこの部屋で、何分以内、教師は何人以内」などというルールを作ってそれに従うのではなく、難しいことだとは思いますが、生徒一人一人の個性にあった指導法で指導を行ってほしいです。
最後に、指導死の定義を。
1 一般に「指導」と考えられている教員の行為により、子どもが精神的あるいは肉体的に追い詰められ、自殺すること。
2 指導方法として妥当性を欠くと思われるものでも、学校で一般的に行われる行為であれば「指導」と捉える(些細な行為による停学、連帯責任、長時間の事情聴取・事実確認など)。
3 自殺の原因が「指導そのもの」や「指導をきっかけとした」と想定できるもの(指導から自殺までの時間が短い場合や、他の要因を見いだすことがきわめて困難なもの)。
4 暴力を用いた「指導」が日本では少なくない。本来「暴行・障害」と考えるべきだが、これによる自殺を広義の「指導死」と捉える場合もある。
読んだ日:2018年1月20日
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